神内良一名誉会長がご逝去されました。享年90歳でした。

07/07/2017

2017年6月27日、うっ血性心不全のため亡くなった援協の元名誉会長の神内良一氏への深甚なる弔意とこれまでのご功績に対する心からの謝意を表するために援協の現執行部幹部役員と元執行部幹部役員の5名が7月7日、援協本部にニッケイ新聞社及びサンパウロ新聞社の記者を招き、記者会見を行いました。会見では与儀上原昭雄会長、井上健治副会長、菊地義治元会長、山下忠男元副会長及び尾西貞夫元副会長が各々、故神内良一氏のお人柄やこれまでの援協に対する,多大なるご貢献、ご功績について、取材に応じました。

神内良一氏は1926年8月15日、香川県に生まれ、第二次世界大戦後、戦災孤児の福祉活動を行っていた児童福祉施設・聖ヨハネ学園で勤務した際、福祉活動をするためには資金が必要だと気づき、消費者金融のプロミス株式会社の前身となる関西金融会社を1962年に設立されました。中国残留婦人と南アメリカに移民した高齢者の援助活動に力を入れるため、1987年にプロミス社の会長を辞任し、神内良一国際福祉事務所を開設されました。さらに、1997年に公益財団法人日本国際協力財団を創立され、会長に就任されました。

神内会長と援協との初めての出会いは1987年に日伯友好病院の建設資金調達のため、日本に滞在していた、当時の竹中会長、和井副会長と小畑事務局長の3名が初めて神内会長にお会いしたことがきっかけです。その翌年に、神内会長は初めてブラジルに来伯され、ブラジル日本移民資料館を訪れた際、「ブラジル移民の父」の上塚周平氏の句に感動され、ブラジルに移住した高齢者がブラジルに移住してよかったと思えるよう、支援したいと決意されました。さらに、あけぼのホームを訪問され、入居者の皆様と「夕焼け小焼け」の童謡を歌い、神内会長はぼろぼろと涙を流しておられました。その年にあけぼのホームの神内基金が創設されました。

「神内先生は、援協が病院、高齢者養護施設と福祉施設を開設し、移住した高齢者の方々がブラジルで安定した生活を送ることができるようになり、日系社会をきちんと守れる団体になった事を大変喜んでいらしゃいました。神内先生の精神をしっかり受け継いで、日系社会とブラジル社会にも信用される、しっかりした団体としてこれから守りながら、今までの足跡を継承する所存です。これが神内理事長への我々の恩返しです。」と菊地義治元会長は語りました。

援協の長い歴史の中、故神内良一名誉会長は当施設に多くの寄付して頂きました。資金援助の総額は合計11億円を上回ります。

当協会に対するご援助

  • 1990年2月 – 日伯友好病院4、5階病棟設備と医療機器援助
  • 1990年9月 – サントス厚生ホーム新築並びに什器備品購入資金援助
  • 1991年2月 –  診療を受けることもままならず、多くの高齢移民者が経済的に苦悩しており、援協神内医療福祉基金を創設
  • 1994年4月 -カンポス・サナトリオ新病棟建設費援助
  • 1994年6月 ― 日伯友好病院「パビリオンR.JINNAI」建設費全額援助

利用者の増加に伴った病床追加のための建設の資金援助を頂きました。工事の最中、インフレが上昇したため、建設費が高騰しましたが、ブラジルの政治問題を理解して頂いた上で新たな援助をして頂きました。

  • 2002年5月 - 日伯友好病院「神内総合医療検査センター」建設費援助
  • 2008年5月 ― 援協社会福祉センター建設資金援助
  • 2013年11月 - サンパウロ日伯援護協会及び日伯福祉援護協会、傘下の4つの高齢者施設の改装と改修工事の資金援助

「神内プロジェクト」と名づけられた、新たな設備の購入と施設内外の改修工事が二段階に分かれて実施されました。第一段階では、さくらホーム、あけぼのホームとサントス厚生ホームの工事が行われ、第二段階では イペランジアホームの非常用発電機が導入されました。

 

 

 


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